敬称略
すごく、エヴァっぽい
話の展開もレイアウトのとり方もデザインも
作品のコントロール方針も
ときたま入るシネスコ画面
ADVの一枚絵シーンみたいなタイミングで挿入
構図の違いだけでなく映像リズムの変化も生み出す
近年、技法として確立させたのは新房シャフトだと思うけど、
現場の作業量はそこまでかからないだろうから
それでこういう大きな演出効果を得ようというのも、エヴァ的
4話のまさゆきコンテ回が
グレンラガン、キルラキルのように
枚数全開ではなかった
動いてはいるんだけどTVシリーズぽい枚数に見えるのが良い
レイアウトが特にそれっぽいけど、あえてリクエストしてるのかも
すごく好きな戸松遥
これまでのベストは『C』の真朱、時点で『SOA』のアスカだけど
多分更新
クレジットどおりだと
一話のライオンみたいなストレリチアは
すしおデザインてことか。ちょーかっこいい。
自分の中で一番好きなメカアニメーターなことを再確認
「オトナ」側のナナとハチが井上麻里奈と小西克幸なのは
明確にグレンラガンを意図してるんだろうけど
柿原徹也はでるんだろうか
女性格の巨大ロボットというと
ゼオライマーとかZOEとかあるけど
長井龍雪と岡田麿里の鉄血のオルフェンズは
非常に雄的なロボットだったよな、と気付かされた
長井監督で言えば
ゼノグラシアからロボは男性であったのだ
で、エヴァがまさにそうじゃないかと思うんだけど
あれは母親なのに、こっちは恋人で
そこら辺に物語の鉱脈があるというのは、すごいなあと
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2018.02.06
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GW前に「劇場版 響け!ユーフォニアム」を観た。
もう公開終わりそうだけど。
あえて、パンフレット未読で感想を。
劇場版WIXOSSと対象的にスタンダードな総集編。
基本的に各話の見どころを繋げていくスタイルで、物語のダイナミズムや描写の積み重ねによる熱量を考えると、TV本編の方が印象深かったかな……とは思うのだけど。
その、各話の見どころが素晴らしいので、それだけで見入ってしまう。
さらに、TV版でもそうだけど、話が進むほど凄味が増していくわけで、再オーディションからコンクール本番、ラストまで。怒涛のような彼ら彼女らの吹奏楽に対する「熱」に飲み込まれてしまうようだった。
というか、あらためて思う。こいつら吹奏楽大好きだよな、と。
物語上の都合はさておき、いきなり現れた新人優男メガネ顧問にボロクソに演奏けなされて、合奏もさせてもらえないまま基礎練や体力づくりやパート練習ばかりさせられて、「顧問を見返してやる」って普通は思わないよ、高校生の部活は。
1年はまだしも、体制がめちゃくちゃだった前年でも辞めずに残って続けるくらい、今の2年、3年に吹奏楽への深い執着が根っこのところであったに違いない、と思う。
葵が部活やめるのも、今見直したらサンフェスの後、なんだよね。
オフィシャルガイドブックに手入れの行き届いたテナーサックスが本音を物語ると書かれているけども、自身の持つ吹奏楽への情熱をコンクールでなく、サンフェスで出しきったと感じた部分もあるのだと思う。
原作未読なのでもしかしたらその部分も掘り下げられているのかもしれないし、やっぱり自分の妄想なのかもしれないけども、学生時代、合唱部で似たような3年間を過ごした身としては、一人ひとりの心情を色々想像してしまうのだ。
作画の主だった新規カットはラストの演奏辺りか。各パートのカットが追加されているのと、エンドロールの授賞式後の部員のシーン。個人的にはコンクールのCD音源売場を眺めてる緑輝がツボ。
画面の話でいくと、作画よりも衝撃だったのは撮影処理。アニメスタイル007で解説されているように今回の「響け!ユーフォニアム」はこれまでの京アニ作品と比べてもとりわけ撮影処理に手間をかけている作品なのだけど、度肝を抜かれたのがTV本編で5話に該当するサンフェスのパート。
風景の緑色が楽器に映り込んでいる!
サンフェス回はTV放映時に唯一録画失敗した回だったので観た回数は1回こっきりだけど記憶ではそんな処理はしていなかったはず……もしかして気づかなかったか、それともBD修正時に追加されたのか?と思い、5話が収録されたBDを購入して先ほど観てみたのだけど、やっぱりBDでも緑色の映り込みは無い!間違いなく、劇場版で足した処理なのだ。
正直、ここまでするか、と思った。劇中の部員達への音楽にかける情熱と同様、京アニスタッフもまた、表現に対してとことんまで貪欲なのである。
ここまでするか、という点では、音響周りのバージョンアップも尋常では無かった。
流行りの高級スピーカーに合わせた音響、とは違う。もちろん吹奏楽を扱う作品としてTV版からこだわりを持って各楽曲は制作されており、それを劇場の良い音響空間で聞く価値はあるし、Liveバージョン上映というのもやっているようだけど。
「劇場版 響け!ユーフォニアム」の音響の真骨頂は、効果音だ。
何話か録画も確認してみたけど、明らかに、今までついていなかった所に音がついている。
楽器を置く音、楽器を持つ時のこすれた音、息づかい……とりわけはっきり分かるシーンは、再オーディションの所だろうか。香織先輩と麗奈がそれぞれソロを吹く所で、息を吸う音や口元の微妙な震えの音が聞こえたときは、スクリーンを観て感動しながら驚愕してしまって、感極まってしまった。
細部に魂を込める。いかにも京都アニメーションらしい、こだわり方だと思う。
唯一残念?なのは、アニメスタイルのインタビューで山田尚子氏が話してた「この作品の劇場版を作る事になった時に、これ以上のクオリティにできるのかしらと、一瞬不安に思うくらい」という、あの12話三好一郎コンテ回、夏の日差しの照り返しを受ける久美子のアップのシーンがカットされてたこと。もしかするとアニメスタイルのインタビューも影響している、かも?
だけど、個人的にシリーズ通して一番の名言だと思っている、同じく12話のラスト、滝先生の「あなたのできますという言葉を、私は忘れてはいませんよ」はちゃんと残っていたので良いかなと思う。これ、三好一郎さんオリジナルの台詞なのがまた凄い。劇場観終わった後に届いたファンブックでシリーズ構成・全話脚本の花田十輝氏も一番印象的な台詞だと述べているし。
BDの5話のコメンタリー聞いてたらサンフェスの謎ステップは三好さんが作画して、それをデータ化して資料としてアニメーターに配布したとのこと。もう、三好一郎さん凄すぎる。
5話のコメンタリーは公式ファンブック読んでても一番想い入れの深そうな斎藤音楽プロデューサーと山田尚子さんの回で、すごく熱い話が聞けて面白い。
斎藤プロデューサーのいい音楽とは何か、という話で、高校時代合唱部だったときに先輩から教わった、聞く人の心に届く音楽を演奏して、その上でコンクールでも勝つ演奏にするんだ、という言葉を思い出した。
BD3巻目まで買ってようやく気づいたけど、再生直後に流れる製作会社のタイトルロゴ、京アニからスタートしてた。ということは京アニが一番出資してるわけで、もう一度ファンブック読み直すと、製作委員会の幹事社らしい。
ポニーキャニオンとランティスっていう取り合わせが不思議だったんだけど、それなら納得がいく。
最近の京アニ作品をソフトで観ていないから分からないけど、他の作品もそうなのかな。だとするとビジネス的にもそりゃデカイよな……
ちょっと話がとりとめなくなったので、ここまで。
もう公開終了まで日が無いと思うけれど、特に再オーディションからのドラマの密度と熱量は良い感じなので、TV版のファンは是非見て欲しい、と思う。
……ようやく、パンフレットが読める。
2016.05.12
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劇場版WIXOSSのこと
劇場版WIXOSSを観た。
ネタバレは防ぎたいし土曜日公開だったこともあり、公開初日の初回からと気合を入れて鑑賞したのだが、想定以上の結末で、感動のあまり涙が止まらなかった。
久しくこのような経験はしてなかったので、驚いた。
ネット上では90分で総集編+αは短すぎるのでは、と否定的な意見も多いようだが、自分にとっては求めていたものを全て受け取ることが出来たので何も不満はなかった。
登場人物たちのドラマについても、おおよそのキャラクターについてはTVシリーズで決着していると思っていたので、劇場版の捉え方は、総集編や補完というより、TVシリーズの再解釈版、という方が自分にはすんなりくる。
TVシリーズ2クールを踏まえた上でこの劇場版に自分が求めていたことは3つ、「るうのバックボーン」「ウリスの結末」そして「繭の救済の見直し」。
そのうち前者2つは鑑賞すればすぐ分かるとおりにがっつりと描かれているのだけど、最後の繭の救済については、鑑賞した段階では自分の中で腑に落ちるのに、なぜ納得したのかを言語化することがずっと出来ないままであった。
が、主題歌を聞きながらぼんやりと思い返していると、ふと何故自分が納得できたのかについて一つの視点が思い浮かんだ。
ここからは、劇場版のネタバレを含む。
TVシリーズでも語られ劇場でも掘り下げられたように、るうは幼くして母親に疎まれ、母という存在に受け入れてもらうことが出来ずに育った。
また劇場で新たに、るうは幸によって「タマ」と名付けられていたという過去のエピソードが追加された。
タマは文字通り、るうの半身ということになる。
劇場版ではTVシリーズの流れのとおり、繭とのバトルの後、るうは繭に、自分にとって大切な存在となったタマとユキを生み出した繭は、2人と同様に大切な人間だと語り、その存在を肯定する。
このくだりはTVシリーズでは、繭の置かれてきた状態やこれまで繭が行ってきた行為を考えると落とし所としては弱いなと感じられ、それが劇場版での描写の追加を自分が望む理由になっていた。
ここで先に語ったるうの追加の設定を踏まえると、大きくこの場面の印象は変わってくる。
先に述べたとおり、劇場版での再解釈により、タマという存在は単なる友達を超え、るうの分身であると語られた。
とすると、るうは、タマという自分の半身を生み出した繭に、自身に欠落していた母の存在を感じとったのではないだろうか。
そして世界から隔絶され存在を否定され続けた繭を肯定したことは、タマやユキを生み出した、すなわちるう自身を生み出してくれたことへの感謝の現れ、子による母の存在肯定だったのではないか。
非常に変則的な形ではあるが、るうによる繭の救済を、自らを生み出した母たる存在を子が肯定する物語とみなすと、繭の存在肯定として非常に力強い理由付けができる。
自身が生み出した存在が自身の生を肯定してくれる、これほど勇気づけられることがあるだろうか。
この再解釈には劇場版冒頭のるうと幸のくだりが大きく影響していて、もちろんこのシーンは鑑賞して分かるとおり、るうとウリスのドラマの繋がりを示すシーンでもある。
冒頭の数分間の追加だけで、るう、ウリスだけでなく、繭も含めて三者のドラマを一気に掘り下げることに成功しているわけだ。
改めて、すごいとしか言いようが無い。
もうしばらく、この作品の持つ熱量に浸っていたいと思う。
2016.02.29
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こうしてまとまった文章の記事を書くのは何年ぶりだろうか。思いの外長文になったので、ブログを立ち上げることにした。
なんやかんやで帰宅後が忙しくなり、秋アニメから新番にかけて録画番組を消化できないでいる。
せっかくの休日なので、溜まっていた録画の中でも長めのものを消化しようと、大晦日にやっていた劇場版アイドルマスター輝きの向こう側へを観ていたのだけど、昨今色々なことが有り過ぎたせいもあるのか、劇場で観た時から大分印象が変わってみえた。
当時はTVシリーズで一通りのドラマは描き切って、その盛り上がりを受けたファンムービー的な印象で、それはそれで面白かったんだけど、改めて見るとこんなに丁寧に描写積んでたのか、という驚きがあった。春香がリーダーとしての在り方に悩む所、美希や千早に相談するところや可奈と電話するシーン、TVから非常に精神的に成長した上でのドラマが繊細かつ丁寧に描かれていて良いし、「輝きの向こう側へ」という言葉など今振り返るとシンデレラガールズへ繋がるものを感じる。
春香は特にTV23~24話で765プロ全員で一緒にやっていきたい思いと、自分のアイドルになりたい気持ちの再確認の2つがクローズアップされていたわけだけど、同じく複数話を跨いで取り扱われ、20話で自分の歌を待つ弟の笑顔、歌うのが大好きだった幼い頃の気持ちを取り戻した千早に比べると、描かれた天海春香という人物の根幹、アイドル像は少し焦点が定まっていない感じがあって、デレマス観てた時なんかもそう言えばあそこ勿体無かったな、と思い返していたのだけれど、劇場版でアリーナで可奈やメンバーに向かって話した、765プロのメンバーや今まで出会った人々の全部で自分はあるんだ、それが天海春香なんだ、っていうのに凄く納得がいって。
TVで描かれた2つの気持ちっていうのは春香にとってイコールであって、765プロや出会った人々との想いの積み重ねの先にあるのが春香にとってのアイドルなんだ、って劇場版で明確に示されたのかなと。
自身の想いをリーダーとして皆の前で語った後、泣いてしまう春香の描写も、顔や涙、声も無く、ただ背中の震えのみ映していて、春香の背負っていたプレッシャーの重さを感じさせる。最後の伊織の転びそうになっても支えてあげるという台詞でシーンを締めるのも心にしみる。
伊織は春香が志保と対立するシーンで仲裁するシーンとか、TVシリーズより一層メンバーを裏でしっかり支えている雰囲気があって良かった。
で、一つ感じたのが、「春香がアリーナで言ったようなことを、SMAP×SMAPでキムタクが言えば良かったんじゃないか」ということ。多分天海春香というアイドルは、現実世界でいうところの、あの生放送の直前までの木村拓哉のようなものだったんだろうなあ、と、今更ながらしみじみと思ってしまうのでありました。
余談ですが、エンド・クレジットを再度みると、監督脚本キャラクターデザイン総作画監督絵コンテ演出作画監督原画で錦織敦史さんの名前があって、もう驚異としか言いようがないですね……
2016.02.07
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まどか☆マギカ最終話のネタバレあり!
【Read More】
まどかの願いが魔法少女を救いたいというのは予想通りだったけど
現在のみならず過去も未来も全ての魔法少女を救うものとは思わなかった。
それはそれで綺麗だし、魔法少女の物語として美しく感じた。
けどそのまどかの行き着く先で、いつものニトロプラスっぽい厨二的展開、
スケールの大きさでハッタリをかます形になるだけかなのかと、一瞬斜に構えた。
そういう少年漫画っぽいマッシヴさな主張を軽々と超えるぐらい
繊細で、壮大なビジュアルに圧倒されてしまった。
ハートキャッチプリキュアの最終回も似たようなものを感じたけど
それよりもさらに繊細さ、リリカルさに溢れていたように思う。
最後、魔女はいなくなったけど魔法少女は存在しつづけるという終わり方もとても良かった。
キュゥべえもまさかあんな立ち位置に収まるなんて全く想像つかなかった。
まどかの願いは全ての魔法少女を正しくあるべき姿に戻した。
魔法少女は夢と希望のために戦う。絶望なんて振りまかない。
このアニメは確かに、戦う魔法少女というものへの1つの答えを見せてくれた。
そして映像が素晴らしいアニメ、物語、ドラマが素晴らしいアニメどちらもあるけれども
両方がその頂点で交差するアニメは本当に貴重だと思う。
良いアニメに出会えたことに感謝を。
そしてこの作品に関わった全てのスタッフの方々、お疲れさまでした。
【Hide More】
2011.04.22
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