フルメタの新刊を探して本屋を4軒ハシゴする。
「王様の本」というローカルチェーン店が先日潰れて以来、羽咋市には、少なくとも家から半径10kmの所には本屋は一軒もない。そのためまた七尾に向かいつつ、バイパス沿いにある本屋を覗くことに。しかし七尾市街だけで本屋3軒もあるのか。こっちに一軒でも分けてくれればいいのに。
しかし孔明の罠発動。1軒たりとも置いているところはなかった。最近ラノベでこういう目によくあってる気がする。たぶんレーベルが増えてきたことでタイトル数が増加して、一冊ごとに仕入れている本数が減ってるからなんだろう。でもメジャーなタイトルだし、フルメタはついこの間「ライトノベルがすごい!」で一位をとったんだから、話題性もあると思ってたんだけど。やっぱりアニメとタイアップしてる作品の方が、書店も多めに注文できるんだろうか。文学少女シリーズとかも全然見つからないときがあったし。そういえば一時期狼と香辛料も全然置いてなかったけど、今日は最新刊がどこでも置いてあったような。ああ、そもそも刷ってる量が違うって可能性もあるか。
んなわけで総移動距離がまた70kmに(これを書き込みにくるだけで往復20kmだし)なった。なので折角だから、図書館もいくつか周った。
特に気になっていたのはラピアという所。ちょうど七尾市と羽咋市の中間あたりにある複合施設で、図書館だけでなく公民館や多目的ホールなんかもついてる。
実はつい昨日その存在を母から聞き、かなり本の品揃えが良い、とは聞いていたのだが、予想以上だった。
子供向けから大人向けまで多様な本が揃っていて、小説などは棚に著者の名前が書かれた仕切りが挟まっていて探しやすい。仕切り自体はよく見るのだけど、仕切りが本や棚に比べて大きめで、文字も大きく見やすい。文学全集なども揃っていて、堂々たるものだった。漫画、特に古典的なものが一通り揃っていて良い感じだ。ラノベも流行のものは置いてあった。誰だ時雨沢恵一ファンは。
で、それだけならまだ良くあるそこそこお金のかかった図書館だ。何に一番驚いたかって…
LDが置いてある!
しかも全巻そろってるのが巨神ゴーグとガンダムWだけ!
マニアックすぎるぞこの図書館!
DVD-BOXはいまやこんな値段なので、早く積みを片付けて来週あたり全巻観よう。全26話だし。
ただ一つ気になったのは、なぜか隅っこに置いてあるサイエントロジーの本。まあ今私が書き込んでいる図書館には某名誉会長の全集が有りますがね…
ちなみに七尾市立図書館も二つ周ったんだけど、特に再開発で新しく出来た施設に移った中央図書館が凄かった。高そうな本ばかり置いてある。
結局フルメタ新刊は密林様頼みか…
あ、紅玉いつき作『MAMA』を読んだのだけど、感想がまとまらなかったので後で載せます。
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2008.02.29
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昨日ふと図書館棚をながめてみたら「黄金の羅針盤」が返却されていたので、借りてあった「神秘の短剣」「琥珀の望遠鏡」と合わせて再び読み直した。といっても全部で1600ページもあるので、結構流し読みではあったのだけど。
思ったよりストーリーは頭に入っていた。一方で登場人物たちの名前はほとんど覚えていなかったが。フルネームで覚えていたのはイオレク・バーニソンだけである。ちなみにシロクマの名前だ。CMでもライラがその背に乗ってる絵が出てるけど、あれである。この世界のおいてクマは単なるクマではなく、知性をもち、金属加工を得意とする勇敢な戦士の一族である。いわゆるドワーフに近い感じだろうか。なんでこの名前を覚えていたかというと、昔読んでいたときに自分がこのクマが一番好きだったからだが、今読み直してもやっぱり格好よかった。映画ではCGだが、単なるシロクマという感じで少し残念ではある。実際に動いてみないとどうなってるか分からないが。
で、一通り読み直して思ったのは、「黄金の羅針盤」は児童文学の範疇に入るけど、「神秘の短剣」以降はぎりぎりそのラインを越えるんじゃないか、ということ。たとえて言うなら、「黄金の羅針盤」は全国枠で日曜朝9時から全50話で放映できるけど、「神秘の短剣」はWOWOWノンスクランブル枠で全26話放映、「琥珀の望遠鏡」が土曜夜27時からUHF系6局ネットか、もしくMBS夕方枠で2クール+2クールの全50話放映。という感じか。もちろん後者は第一期は全国10局ネット、第二期は全国26局ネットである。そういえばガンダム002期はギアスと逆に10局ネットに格下げされ、その代わりにマクロス2期が全国枠になるんじゃないかと踏んでるんだけど、どうだろうか。
ともかく、そんな感じでした。私は昔読んだものを今読み返してもあまり印象が変わらないタイプなんだけど、今回もあまり変わらなかった。だって「この人はどんな人?」
「人殺しだ」「なら大丈夫。人殺しなら信用できる」って児童文学のヒロインがいう台詞じゃないよ!
分量はラノベ読みからすればかなり多いと思う。(京極堂とか都市シリーズとか読んでる人は別だろうけど)でも内容はハリポタよかはるかに馴染めやすいと思うので、もっと読まれて欲しいなあ。
そういえば今月はいろいろ新刊が出てる。というかフルメタ最新刊が!買わなきゃ!
2008.02.28
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文学少女と月花を朶く水妖(ウンディーネ)読了。
文学少女シリーズの6冊目にして、初の外伝。本編がかなり佳境に入っていて、あと2冊程度で終わるかな、というタイミングでの外伝なので、最初知ったときは拍子抜けした。今回のテーマは泉鏡花。本編はいつもよりビジュアル重視な感じ。いつもは文章そのものを読ませていって登場人物のドラマを表現する感じだけど、今回は映像を想起させる文章が多い。それぞれの場面が具体的な情景となって目の前に浮かんでくる。つまらなくはないんだけど、まあ良くも悪くも普通のライトノベルという感じだった。金田一かよ、とか。前作に比べるとやっぱりインパクト薄いかな。まあ前作はこれまでの色々な伏線の総決算で盛り上がってる部分もあったんだけど。
犯人の正体も、まあまず主役3人が犯人以外の名前が出ている人物で、そこそこ犯人に足るストーリーを文学少女が想像できそうなほどに情報が出ているキャラクターが一人しかいないんだから、一択だよなあ。このシリーズは推理ものではなくて、ある事件にまつわる主役、ゲスト含めた登場人物たちのドラマと、それにたいする文学少女の「想像」による事件の文脈の新たな解釈でそのドラマがどう動き出すかを楽しむものであるから、別にとりあえずの結末が陳腐でも問題はないんだけど。むしろその石ありふれたような物語に対する新たな解釈が、それを聞いた周りの人々の心境の変化が大切なのだから。とはいうものの、確かにその後の文学少女の想像は面白かった。それをそこにそう結びつけるのか、という楽しさはあったけれど、アイデアだけでも満足できる、というほどのものではなかった。
そう思って油断していたら、最後の最後でやられた。あれはシリーズとして読んでいる私にとってはまさにクロスカウンターという感じだ。ここまで終わりをキチンと予告するライトノベルは久々に読んだ気がする。自分が最近買ったシリーズものは、続刊がなかったことにされてるか、もしくは既に終わったのを大人買いするかのどちらかだった。最近はフルメタル・パニックとかゼロの使い魔とか終わりそうな雰囲気が出てきてほっとしているけど、狼と香辛料なんか新キャラ出てきちゃったしさ。綺麗に10巻ぐらいで終わると思ったんだけど…
2008.02.27
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新聞を開いたら、金大と富大の2次試験の問題と解答の速報が載っていた。そういえば土日は前期試験の日だったっけ。
何の気なしに目に入った富大の数学の大問1を見る。解けない。点と直線が与えられていて、線対称の点の座標を求める問題。直交する二本の直線の傾きの公式が出てこなかった。ちなみにそれぞれを掛けると-1になる。ショックだ。
せめて公式の導出だけでも確認しようと高校時代の教科書を紐解くと、思ったより複雑な方法を使っていた。直交する2直線の交点と、直線x=1と2直線それぞれとの交点を結んだ直角三角形を考え、三平方の定理を使って求めるものだった。こういうのはかなり基本的な性質だから、もうちょっとスマートな導出方法だと思っていたので驚いた。おそらくより簡単な方法があるんじゃないだろうか。
数学は高度になればなるほど出てくる概念自体は増えるが、こういう初歩的な問題を解く場合など実用上は使える道具が増える、解法が増えるという感覚なのであまり気にはならない。逆に理科などは考えなければいけない概念そのものが拡張されることが多いから、一見高校でもやる初歩的な問題に見えても、実際には考えなければならないことが増えることが多くて、そこを思わず考えてしまうことがよくある。だから理科は問題を解こうとせずに見るだけにしようと思ったら…載っていない。載っているのは国数英の主要三教科だけで、理科や社会、小論文などは載っていなかった。問題の傾向紹介だけは載っていたので読むと、より対象を深く考えなければいけない問題が多かったようだ。例年通り「難易度はやや高め」ということだったので見てみたかった。
そしてどうやら今回は久々に万有引力の問題が出てきたらしい。金大は宇宙物理も結構盛んなので、ここ数年出ていなかったというのは意外ではある。しかし今は、少なくとも国内では宇宙開発自体が規模が縮小され、あまり盛んではないらしいから仕方ないのかもしれない。
2008.02.27
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七尾湾を見てきた。
図書館にいったのも含めておそらく70kmくらい走ったかな。
走ったら25km走るのに1時間強かかったんだけど、なぜか金沢まで行ったときは片道で休憩時間抜いても4時間以上いだとかかっていた。
距離的には60kmぐらいだと思うんだけど…
そういえば母校の旧校舎がもう取り壊されていた。
取り壊される前に写真を撮っておいてエロゲ作ろうとか思ってたな昔。
いや別にエロ要素なくてもよかったんだけど。
2008.02.25
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良い機会なので、買ってそのままだった本を消化している。
今読み終わったのは電脳コイル2&3巻。
随分前に出たんだけど、忙しかったのと普通のライトノベルに比べて少し値段が高いのでなかなか買う機会が無かった。試験が終わってからまとめて買ったんだけど、その後も一週間ほど積みっぱなしで、ようやく読み終わった。
最近のノベライズ本としては珍しく、内容を再構成しつつアニメ本編のエピソードを頭からこなしていくものだった。今は大体8話くらい。次で合宿の話だから、10冊ぐらいでアニメ26本分の話を一通りやるつもりなんじゃないだろうか。
で、これはノベライズと銘打ってあって、巻末にも「世界観・キャラクターその他設定の異なる別作品」と書かれているのだけど、メガネは13歳までしか使えないという小説版の設定は、磯光雄のホームページによれば当初アニメ版も同じ設定だったそうだ。ということは、もともと小説版のほうが原作に近い設定だったのではないだろうか。
それぞれのキャラクターの掘り下げも小説版のほうが丁寧だ。とりわけヤサコ――小此木優子の内面描写がかなり丁寧になっている。イサコが何故ヤサコを嫌うのか、ヤサコは何故イサコを追いかけるのか、何故ハラケンに惹かれるのかということへの描写がアニメでは相当に端折られていて観てて違和感を覚えた自分にとっては嬉しい限りだ。あれは確かガイナックスのグロス回だったと思うけど、ハラケンがヤサコにカンナの話をするくだり、ああいう絵としての描写でハラケンがヤサコとくっつきそうだ、という雰囲気は出していたけど、その中で二人が、特にハラケンのほうがヤサコになびくようでなびかない微妙な緊張状態が終盤までずっと続いていて、それが何故起こるのか、ということはあまり描かれなかった。それはそれで正解ではあるのだけれど、やっぱりどういうことを考えていたかはっきりと知りたかった。その答えがここにある。
アニメはともかくヤサコとイサコにひたすら焦点を絞っていた、というよりここ以外に焦点を合わせると物語がおさまりきらない感じだった。色々なアイデアや登場キャラクターの感情の流れ、ストーリーが膨大すぎて、ヤサコとイサコの物語に収束させないと26話では収まりがつかなかったんじゃないかと思う。やっぱり少しクオリティを落としてでも50話やって欲しかったなあ、という感想を持ってしまう。それだけこの小説版で描かれているキャラクター達が魅力的なのだ。普通の設定倒れの作品と違うのは、やはりその設定が世界観だけではなくて、登場人物の背景や内面に対しても深い設定があるからだと思う。ヤサコとイサコはもちろんのこと、ハラケンやオバちゃん、フミエやダイチを初めとした大黒黒客のメンバー、そして京子やメガばあ、ヤサコの両親といった面々にもそれぞれ幾つか話数が作れそうなほど深い設定があるようだ。これらの話を、小説でなくアニメ本編でみたかった、というのがある。
グレンラガンもそうだけど、放映作品数が史上最多となった「量」の2006年、そしてガイナックスの「天元突破グレンラガン」、磯光雄の「電脳コイル」が揃った2007年は「質」の年だったといっても良いだろう。エヴァのヒットと製作委員会方式が広まり、2クール26話のフォーマットが一般的になり、その中での作品の作り方や商品展開、資金回収の方法論が一般化して、そろそろ再び次の段階、4クール作品のヒット作を作る必要があるんじゃないかと思う。もう一つの段階は劇場作品だが、その方向に向かうべきか否かは今年2008年ではっきりするだろう。
そういえば、小説版三巻のカバー原画は、これまでの井上俊之ではなく19話から総作監に入っていた板津匡覧だった。
イサコとヤサコの関係性は特徴的だ。アニメではもう少し牧歌的というか、ゆるい感じがあって、その中で何か少し足りない、張り詰めた感じがあった。そうした緊張感が終盤一気に高まってラストのあの盛り上がりに繋がった。作品のまとまりは全体としては良いけど、バランス的にはやっぱり悪いんじゃないか、という評価を見かけるが、小説版はそんな生ぬるくない。最初からギア全開でピアノ線のように張り詰めている。登場人物たちの、とりわけイサコとヤサコの必死さ、懸命さに思わず読んでいるこっちが息が詰まりそうになる。そういう単純に「思春期だから」という言葉で済ませたくないほど彼らにとって電脳世界がリアルだ、ということをアニメ本編では終盤になるまでそこまでは感じていなかったので、正直驚いた部分もある。
オタク的にキャラクター同士の関係性を一言で述べるとすれば、百合というよりボーイズラブに近いと思う。女性による少年マンガ解釈に近いようなものを、ライバルの二人が互いに譲れない信念があって、それは相容れないものであり、それでも二人はお互いのことを無視することができずに、力づくで相手の存在を自分に近づけようとする、というのかなんというのか。百合というのも少なくとも二種類あって、女の子が二人いちゃいちゃしてるのと二人が絶妙な緊張状態で互いを自分のものにしようと駆け引きしあってるのとあると思うんだけど、ボーイズラブもそういう所がある。ただ、最近の百合っていうのはそこまで緊張して張り詰めた感じがない。本当に受け手に緊張状態を与える作品というのは、こちらに妄想する隙すらあたえない。妄想すら許さない。もう世界は作品中にある登場人物だけのものであって、それは唯一無二であり、誰にも侵されないものなのだ。普通の作品はどうしてもエンターテイメントになってしまったり、そういう要素を入れざるをえないこともあって受け手に自由に解釈する隙を作ってしまう。いや、そういう隙はどんなに完璧に作っても必ず生まれてしまうもので、だからこそ「現実は小説より奇なり」という言葉がたとえ普遍のものであっても、空想の作品が現実に勝る瞬間も時には存在する。だけれども、その作品のあり方そのものに受け手の解釈する隙を与えない、登場人物の感情を思いのままに書き換えることを受け手がためらう程の緊張感というものは確かに生み出すことができるし、それが出来るときには、その作品はおそらく素晴らしい作品になりうるだろう。
しかし同時にそうすることで、それを受け入れることのできる人間が一気に減ってしまう、ということもまた事実なのである。私自身もここまで読み手に緊張状態を強いる作品を安易に薦めることは出来ないし、実際に電脳コイルはそこまでヒットした作品ではなかった。むしろ惨敗だといっても良い。けれどもこの作品は確かに唯一無二の作品であり、私はこの作品が大好きである。
そういえばもう四巻が出ているはずだ。買わねば。
あとハラケンはすごいキャラクターだと思う。小説版電脳コイル第三巻より。
「女はいやだ。ひとの弱いところに平気でつけこんで、こちらをとりこもうとする。最悪だ」
2008.02.24
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図書館からブログを更新。
実は本当は昨日更新するつもりで、実家から10km離れた図書館へ「自転車で」向かっていた。
ついでに冬の日本海でも見ていこう、暖かくなってきたからもう少し走ってみようと走っていたら、いつの間にか金沢にいた不思議。
もちろんちゃんと帰ったけど、多分120kmくらい走った。
最近「ライラの冒険 黄金の羅針盤」のCMを良く見かけるので、それについてちょっと書こうと思う。
ちょっとだけネタばれもあるので、なるべく気をつけて書くけどどうしてもダメな人は読まないほうがいいかも。
原作に出会ったのは、実はこれを書いている図書館だった。
私が本を借りるようになったのは中2のころからだった。当時はあらゆる本が珍しくて、開館前に行って勉強に来ている大学生や大人の人と一緒に開くのを待ち、午前一杯かけて気に入った本を探して制限一杯まで借り、その日のうちに全て読んでまた次の日借りに行く、という感じだった。
中3になって石川に引越してからはなかなか友達が出来なくて、図書館が遠くなったことや受験が控えていたこともあって回数は減ったものの、中学校の図書館があまり充実していなかったこともあって月に数回は通っていた。そんな中でヤングアダルト向けの本棚で発見したのが「黄金の羅針盤」と「神秘の短剣」だった。
ライラの冒険シリーズは1994年の「黄金の羅針盤」から始まった全三巻のシリーズで、後に「神秘の短剣」「琥珀色の望遠鏡」と続く。当時はまだ最終巻である「琥珀の望遠鏡」が出てなかったので、読みながらヤキモキしたものだった。
今国内では少し落ち着いた感があるが、ここ数年のファンタジーブームの火付け役はもちろん「ハリーポッター」シリーズである、ハリーポッターシリーズはイギリスの小説なのだが、そのイギリスのファンタジーブームの火付け役となったのがライラの冒険シリーズなのである。
このシリーズを読んでまず驚いたのは、ヒロインであるライラ・ベラクアのキャラクター造形だった。
このキャラクターはCMや各種広告をみたら単なるおてんば娘と書かれているんだけど、単に行動力ある、というキャラでもなかったりする。ひぐらし知ってる人は通じると思うんだけど、この娘は「口先の魔術師」なのだ。もちろん行動力があって色々冒険するんだけど、ピンチの時は殴るとかじゃなくて、口で攻撃するのである。説得やら恫喝・恐喝なんでもござれだ。どれくらい巧いかというと、10歳にして物語中で「ライラ・シルバータン(雄弁な舌)」なんて称号がつくぐらいである。これと未来を読める黄金の羅針盤を使って冒険するのが第一巻の内容なんである。
これが続編の神秘の短剣になると、自分の敵には容赦ない少年トムが出てくるとより強調される。詳しくはネタバレになるので書かないけど、同じく同人ゲーで例えると、こっちは月姫の遠野志貴なのだ。詳しい人は月姫2の志貴っていうとよりイメージが近いかな。個人的にはこちらの方がインパクトがあった。ぶっちゃけると今のライトノベルに出てきそうなキャラクターなのだ。
更にライラを追いかけてくる敵が「キリスト教」なのも凄い。キリスト教が送りこんできた刺客であるコールター夫人なんか底知れない魅力を持って面白い。
この話を書いたフィリップ・プルマンは普通に児童文学出身で、他の作品は読んだことは無いんだけど、聞くところによればこんな奇天烈な(一般の小説に比べれば、ライトノベル的なこういう設定はやっぱり普通では無いと思う)設定のキャラクターは出ていないようだ。ハリーポッターなんかはそこまで強烈なキャラクターはいないと思う。ダレン・シャンとかデルトラクエストとか、ハリーポッターのヒットから日本で出版されたファンタジーは読んでいないので、こちらにはそういうキャラクターが出てくるかもしれない。
しかしプルマンは真剣にこれを書いていて、例えばキリスト教についてなども、プルマン自身が幼い頃から熱心なキリスト教信者で、聖書もきちんと暗記しているほどだと言う。日本のライトノベルや、漫画・アニメ・ゲームいずれにも聖書のイメージは頻繁に出てくる。それは聖書が文学的な面白さも秘めた作品だからだけど、大抵単なるモチーフとか用語を使ってるだけで、実際に聖書をそらんじているほどの信者がこういった形でキリスト教を扱った作品を自分は知らない。プルマンは真面目にキリスト教はどうあるべきかというメッセージを込めてこれを書いているのだ。だから単なるネタ元として使っている作品とはその重み、キリスト教を扱うということに対する覚悟が違ってくるのだ。
今思い返すと、こんなにライトノベル的なキャラクターが、1994年のイギリスで生まれたのか非常に気になる。日本ではまだスレイヤーズが全盛でブギーポップシリーズが始まっていなくて、エヴァもまだ放送されていないのに。
そういえばアニメージュには毎回アニメーターと旬の映画について語るコーナーがあるのだが、今月号は題材が黄金の羅針盤で、ゲストが「デルトラ・クエスト」のキャラクターデザイン・総作画監督の西村博之だった。知ってる人には「ルナル・サーガ」の挿絵などが有名だろうか。西村博之はいわゆる剣と魔法の世界系の西洋ファンタジーが好きで、この作品も最初の「黄金の羅針盤」の邦訳が発売された当時から読んでいてファンだったらしい。映画化するという話は数年前から知っていたが、当初監督を予定していたのがリドリー・スコットなのは知らなかった。でリドリーもライラの冒険シリーズの原作が非常に好きらしくて、リドリーが映画化したらどうなっただろう、と西村博之が言っていたのが感慨深かった。キリスト教関係の描写とかも、原作よりもちょっと甘めになってしまったらしい。いやリドリーの作品はエイリアンぐらいしか観たことないんだけど。
いつかちゃんと一通り観たいと思っていて、で観るならもちろん「ブレードランナー」から。でブレードランナー観るならまずディックの原作「アンドロイドは電気羊の夢をみるか」を読んでからみたいと思っていて、でなかなか読めなくて結局ずっと観ていないのである。押井守がリドリーとデビッド・リンチには勝てないとラジオやアニメージュの連載で散々言ってるので、なんとしても観なきゃ、と思ってるはいる。。
実際この作品は発表された当初からキリスト教会の反発がすごいのだが。ハリーポッターなんかも結構問題になったけど、魔女の存在が問題になった程度のハリーポッターに比べて、こちらは直接的にキリスト教団が敵なわけで、結構禁書になっているところもあるらしい。カトリックに比べてイギリス国教会の方が理解者が多いんだったかな。そういうこともあるので、リドリー・スコットの人となりを聞く限りでは、確かにこの対談の通り、監督になったらもっと偉い騒ぎになったんだろうと思う。
個人的にはとにかく原作の知名度の無さが寂しいので、描写が多少甘くなってもとにかく映画化してもらって、もっと原作が広まればいいなあと思う。同人のネタにもしやすいだろうしさ。
あと確かにライラ役の人は良い感じだと思う。新聞広告だと普通の美少女っぽく撮ってあるけど、さっきも書いたとおり実際にはおてんばどころか、かなり小悪魔的な女の子で、宣伝番組とか見たら結構そういう顔付きがハマってるように思う。
そう言えば最近らいかんすろうぷさんがツンツンキャラというか、こう挨拶代わりに毒舌食らわせるキャラが大好きらしいんだけど、ライラってそういうキャラだよなあ…
2008.02.23
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しばらく実家に帰ります。3月中頃には変える予定。
結局ほとんどブログは更新できなかったなあ。
書こうと思ってた記事のブックマークが大変なことになってたり、ちょこちょこメモがあったりするんだけど、なかなかカタチにはまとまらなかった。反省。
実家帰ったら図書館にちょこちょこ通う予定なので、気が向いたら更新します。
2008.02.21
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クリエイター繋がりで見るウッウッーウマウマ(゚∀゚)の元ネタ話・映像編 - HINAGIKU 『らめぇ』
という記事があったので、作画ファンっぽく情報追加してみる。
まず検索する時に渡辺あきお=渡辺明夫は覚えとくと良。
ぽよよんろっく=渡辺あきおというのは有名ではあるが、その師匠が、元東映動画(現東映アニメーション)の伊藤郁子だという話はあまり知られてないと思う。
伊藤郁子は90年代に最も活躍した女性アニメーターの一人で、代表作は「セーラームーンシリーズ」や「魔法使いTai!」、そして自身が11年間アイデアを温めてきた「プリンセスチュチュ」など。確か元々クレイアニメ志望だったのが、恩師に「東映動画で勉強してきなさい」と言われてアニメーターになったはず。(この辺曖昧)
で、なんで渡辺あきおの師匠になったかというと、スタジオ雲雀を辞めてにスタジオを転々としていく中で、 アニメーターを辞めようかと思った時に出会ったとか。詳細は渡辺明夫アートワークスに。
渡辺明夫がキャラデザやった初めてのゲーム「ずっといっしょ」も、
http://www.secondtea.jp/zuttomai.html
>キャラ絵については、とにかく「いけてる絵」であることが大前提で、これだけは譲りませんでした。
>伊○○子さんにお願いしたかったのですが、スケジュールの都合でどうしてもお願いできず、作画監督に予定していた渡辺明夫を起用することになりました。
>彼の初キャラデということで、最初は不安で一杯でした。
と言うことらしい。このゲームWikipediaによれば発売が1998年3月なので、多分魔法使いTai!のOVAかTV版のどちらかの作業とかぶったんだろう。
そういえば、ぽよよんろっくっていうのは12歳で渡辺あきおの妹で、「お兄ちゃんと絵が似てるって、よく言われます」とかいう設定だったはず。今更か。
でこの後はヘタレ作画好きのヨタ話。
これがOPだけど、伊藤郁子キャラに似てるのは意図的なのか。タレ目とか似せるのうまいなあ。
渡辺明夫のOP仕事一覧をmatikaの日記:あきるまでさんがリンクしてたんだけど(記事名が日付なのに注意)、こうして仕事を見てみると、タイミングの取り方が伊藤郁子にすごく似ているように思う。あれだけニッチ層にしかヒットしなさそうな絵柄なのに(「ぷに」っていうのはもう死語なのだろうか)、実際動くとそれほど下品には見えない。ゆったりと柔らかく動く感じ。
編集長メモ: 動画の「先ヅメ」と「後ヅメ」・続き
最近の原画集とか見てると細かくツメ指示が入ってたりするから、一概にこの会社だからこう、とは言えない所もあるんだろうけど、一応参考までに。
東映は後ヅメだけど、先ヅメも結構使ってるように思う。ガイナックスも後ヅメに見える。なんだかんだ言ってベースにテレコムがあるから?
京アニはどちらかと言えば均等割り派かな。
少し後半音ズレがあるけど。
京アニ回も面白かったけど、このOPの雰囲気が再現されてないなぁと昔思ったのはそういう違いもあったんだろうな。
あと某カリスマアニメーターって一人しかいないですよアニメ様。
ツメ指示についてはおぎにゃんと学ぼう!アニメの作り方参照。
伊藤郁子関連だと、このOPとか面白い。
からだの動かし方とか、手足の描き方とか。
そういえばこのアニメ、1クールなのに伊藤郁子と同じく弟子筋にあたる長谷川眞也が交互に総作監やってる変わったアニメだった。おそらく「プリンセスチュチュ」で消耗しきった伊藤郁子用に、総作監の負担が大きくなりがちなJCの方で配慮したんじゃないだろうか。
観てた時、長谷川眞也も絵柄は似せられるものの、流石に芝居の巧さまでは追いつけなかったように思った。伊藤回の方がキャラの芝居が要所要所で細かい印象があったためだ。長谷川眞也はエロティックでムードのある動きは巧いけど、渡辺明夫の方が女の子の可愛いと思える仕草が、ぶっちゃけ萌える仕草(というか芝居)を描くのは上かなあ、と思う。ずっといっしょOPの最後「さーよーならーね!」のところとか地味に凄いと思う。まあ単純に両者の好みの差なのかもしれない。
あとウッーウッーウマウマ(゚∀゚)の動画がなんで違和感があるのか分かった。
これがよく元ネタにされてる動画。
画面左手に腰を振るときは5コマなのに、右手に振るときは6コマと7コマを繰り返してる。道理でタイミングが合わないわけだ。
あと流石にオバケをトレスしてる人はあんまいないなー。
2008.02.21
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