コードギアス22話の感想
ついに、自分が待ち望んでいた「面白い」ギアスがやってきた。そう感じた。
これでようやくルルーシュの行動基盤は崩れ去り、彼の心のうちが視聴者の眼前に白日の下にさらけ出されることになる。
谷口監督は様々なキャラクターの間で対立軸を用意し、その対立構造の中で登場人物同士を結びつけたり、離れさせたり、あるいは闘わせることでそれぞれの登場人物の思考や行動原理を揺さぶり、それらがもつ矛盾を登場人物自身に、そしてわれわれ視聴者に突きつける、という作品づくりを得意としている。
作品に出てくる登場人物には全て意味が存在し、このような仕掛けはほぼ全ての登場人物に備わっているが、とりわけこの構造が顕著に、かつ視聴者へのメッセージ性も強いのはやはり主人公である。
「無限のリヴァイアス」の相葉昂治、「スクライド」のカズマ、「プラネテス」のハチマキ、「ガン×ソード」のヴァン…どれもその人物自体が非常に独特な性格付けがなされている上、どの主人公にも上記のような対立構造が多数用意されているためにより豊かな人物像が描き出されている。
「コードギアス」の主人公であるルルーシュもその分に漏れず、非常に多くの対立構造の中に存在するキャラクターである。1期においてこの対立構造の代表格であったのは、母を殺め、妹の光と足を奪い去り、戦争の、自身の野望の道具として自分達を切り捨てた皇帝シャルル。そして自己犠牲をいとわず、あくまで真っ当な手段で世界を変えようとするスザクであった。精神的な対立構造だけでなく、物語中の立ち位置としても、ブリタニア皇帝として最高の権力をもつシャルル、優秀な戦士としてルルーシュを力で脅かるスザクに対し、戦略・戦術家としての才能はあるものの、身体能力は平凡以下でただの学生にしか過ぎないルルーシュ、という設定は、谷口ファンには馴染み深い対立構造であり、彼らと、そしてほかの多くの登場人物と様々な場面で関わりあっていくことで、ルルーシュの素顔が、あり方が明らかにさせられ、物語は深みを帯びていく。少なくとも第一話を観たときには、私はそう思っていた。
1期では捕まったスザクを助けつつも共闘を断られ、ルルーシュがセッティングした戦況をことごとく覆すジョーカーとなり、一方で学園では再びめぐり合った旧友として交流を深める。スザクの正体を知ったルルーシュは再びスザクを手に入れようと画策するが、ギアスを掛け損ない、また暴走したギアスによりユフィを殺害し、犯人であるゼロの正体を知ることで真にスザクがルルーシュの敵となる、という展開は対立構造の申し分のないように見えた。
だがその関係は対立というにはいささか奇妙でもある。スザクという人物はルルーシュと設定では対極的な位置にありながら、物語中での力関係はアンバランスである。処刑されそうになったところを助けた時、神根島での「生きろ」というギアスでの混乱、そしてギアの暴走によるユフィの死。いずれもギアスの力によって起きた事件であり、そしてギアスという能力によってスザクとルルーシュのパワーバランスは大きくルルーシュの方に傾いている。そして、アッシュフォード学園においては対等であるもの、戦場ではあくまで指揮官と一兵卒であり、同じ部隊の中でならまだしも、違う軍のなかでの指揮官と一兵卒ではその影響力は大きく異なっている。さらにルルーシュは正体を知らない間は親友として振舞うし、仲間に誘ったり自分がゼロだということを明かそうとするし、スザクがランスロットのパイロットを知ってからも苦悩し、なんとか味方に引き入れようと画策する。しかし、これらの出来事によってスザク個人に対する感情や行動が揺れ動くものの、ルルーシュがゼロとしての活動を止めることはなく、その行動原理自体に変化をきたすことはほとんどない。
一方のシャルルは1期ではその存在を揺るがすどころか姿すらほとんど見せず、2期になってようやくその真の目的が明らかになり、母であり、全ての始まりであったマリアンヌの死の真相が明らかになると共に、対等な舞台に立つこととなった。1期の1クールにおいてマリアンヌの死の真相というのは、打倒ブリタニア、ナナリーが平和でいられる世界に並んでルルーシュが「反逆」する理由であった(少なくともこれらが理由だと信じ込んでいた)。黒幕が皇族関係なら、元より皇族全てが復讐の対象であったルルーシュにとっては全て抹殺して終わり、に思える。しかし、自分達の運命を狂わし、もしかしたら命を狙っているかもしれない相手を探し出し、その真実を知ることはルルーシュにとって非常に重大な案件だった。ルルーシュの行動が複雑怪奇なのもそのためで、ナナリーの周囲の世界を守るためアッシュフォードに留まりつつ、ブリタニアを叩き壊すために内部から権力争いでのし上がるようなことはせずに黒の騎士団という外部の組織を持って叩き潰そうとし、一方でたびたび皇族関係者に素顔をさらしてマリアンヌの事件の真実を知ろうとしている。そこまでして知りたかった事件の真実が、人の無意識を統合する「ラグナレクとの接合」などという愚かな計画を巡る争いから起こったものであり、かつ自分達が日本に送られたのは人質としてではなく事件の真実を知るナナリーを遠ざけるため、しかもその行動はルルーシュたちへの「愛」ゆえである、とシャルルが、そしてマリアンヌ自身の口から明かされ、これまでの自分とナナリーの苦悩が両親の自分勝手な都合から始まったことを知ったルルーシュは激昂し、二人を全否定して思考エレベーターを破壊する。
がしかし、このとき既に彼を取り巻く状況は大きく変化しており、V.V.を葬り超合衆国を建設してようやくブリタニアそのものと対峙できる状況を作り出したのもつかの間、正体が晒されて黒の騎士団を失い、ユフィ、スザク、C.C.、そしてナナリーさえも失い死に体ルルーシュにとって、出来ることはマリアンヌ事件の真実を暴き、皇帝と決着をつけることぐらいである。シャルルの行いを許すことはないし、ジェレミアやコーネリアほどには入れ込んでいないマリアンヌも、シャルル側の人間だと知り、かつあれほど自分勝手な人間と分かれば、ルルーシュなら迷うことなく刃を向ける。幼い頃彼をあれほど脅かした皇帝シャルルも、今のルルーシュの存在を脅かすものでは決してなかったのである。
またシュナイゼルなどはそもそも対立構造の上には乗っていない。彼と対立構造にあったのはむしろシャルルである。シュナイゼルのいう、「能力あるものが正しく権力を用いて世界を治める」というのは現在ブリタニア皇帝であるルルーシュとは方向性自体は同じであり、彼自身は皇帝としてまつりごとの矢面に立つのを嫌い、影から世界の安定のため活動することを願っているので役割としてはルルーシュと対極にあるが、対等な立場にはいないため対立構造としての意味合いは小さくなる。政敵としての対立構造はあるが精神的な対立、直接対峙してルルーシュの真実を暴くほどの対立構造は持っていない。
このように、コードギアスという物語においてルルーシュと最も対立し、それによりルルーシュの真の姿を暴き出す鏡たる存在であるはずのスザクとシャルルが、多少の揺さぶりや物語の展開にこそ影響をあたえるものの、ルルーシュという存在を根底からひっくり返すほどの影響力は持っていないのである。
相葉昂治に対する相葉祐樹や尾瀬イクミ、カズマに対する劉鳳、ハチマキに対するタナベ、そしてヴァンに対するカギ爪と、その対立関係の中で直接対峙し、その中で互いの真実が暴き出される構造をとる谷口作品にしては、ルルーシュというキャラクターはその本質が今ひとつ明らかになっていないように感じてきた。そしてそのことが、私が「コードギアス」という作品に乗り切れない原因の一つでもあった。
しかし、そんな彼が僅かであるが素を晒した瞬間がある。それは守るべき存在のナナリーの身に重大な問題が発生したときである。具体的にはマオにナナリーを殺したと告げられた時、ナナリーがエリア11総督となったとき、目前でナナリーを連れ去れなかったとき、そしてフレイア弾頭によってトウキョウゲットーが壊滅した時である。これらのシーンでは徹底してルルーシュの動揺が描かれていた。
彼の行動の基盤となるのはナナリーなのである。
紅月カレンは対立構造とはまた違った方面からルルーシュの存在に大きな影響を与えたが、それはナナリーの比ではない。
それまで様々な困難を乗り越えるに当たって、それら全てにルルーシュが立ち向かう原動力となったのはナナリーの存在であり、ナナリーが平和に生きる世界を作り出すため、ということをことある毎に呟いていた。
しかしこのような方法でナナリーが安心して生活できる世界を作り出したとしても、それはもう本当にナナリーが望んだ世界であるわけではない。ユフィやシャーリーにいたってはもう永遠に失われてしまった。狂木神社でスザクと会った際にその事実を突きつけられ、そこで初めてルルーシュという存在はその行動原理の矛盾を衝かれる。しかしエリア11の総督になったとしてもそれは実質的にはお飾りの総督でしかなく、それを引き受けたのは彼女自身の意思だとしても彼女が闘おうとしたのはゼロであり、ルルーシュではない。ナナリーとルルーシュが直接対峙する状況というのは訪れず、そのままフレイヤによってナナリーは死亡し、ナナリーにとってルルーシュはどういう存在であったのか、ゼロというもう一つの顔を知ったときナナリーはどうするのか明かされることなく、ルルーシュは自分勝手な思い込みでナナリーの心情を解釈し、ナナリーは望んでいないとシャルルを否定する。確かにシャルルやマリアンヌが作ろうとした世界をナナリーは望んでいないであろう。だがゼロが、ルルーシュが作ろうとしている世界はどうなのか?果てしない闘争と裏切りと屍の末にナナリーの安全を手に入れたとして、それは本当にナナリーが望んだ世界なのか?その真実はフレイヤによって永久の闇に葬られたかに見えた。
だがナナリーは生きていた。しかもシュナイゼルが推す皇帝候補としてである。
ここに来てついにルルーシュは自身の行動原因たるナナリーと真っ向から対立することとなり、彼の存在が根底から揺さぶられることになるのである。
一視聴者として、一谷口ファンとしてこの展開には興奮せずにはいられない。
コードギアスという物語は、非常に矛盾に満ちた物語である。
販促のために突飛な展開を重視している、というだけではない。そういうメタな矛盾とはまた別に、登場人物たちが皆矛盾を抱えているのである。そして恐ろしいことに誰もがその矛盾に目を向けようとしない。とりわけ主人公であるルルーシュはその思想、行動、言動、何もかも矛盾に満ちた人物である。矛盾を生み出す一番の原因は彼が嘘をつく、常に真実を明かさない、というところにある。ゼロという仮面を被り、ギアスで人を操り、危険な場面にや予定していない展開を口先とハッタリとトリックで乗り切り続けるルルーシュ。ギアスの力を手にし、「いつしか自分自身にさえ嘘をついていた……」と再び復讐の炎を燃え上がらせたルルーシュは、今もまた自分に嘘をついているのでないか。その行動理由を再び嘘で塗り固めてしまっているのではないか。
通常谷口作品では対立関係を通して主人公や他の登場人物たちの本質を描く。しかし、コードギアスにおいてはルルーシュという人物の素顔はとりわけ強固な仮面に隠されており、22話、1期から数えると、総集編を除けば実に47話に至るまで、それが外れることはなかったのだ。それが今、真の対立軸たるナナリーと対峙することでようやく剥ぎ取られ、その真の姿が露わとなる。
ナナリーを守るというハリボテの論理で隠されてきたその裏に果たして何があるのか。征服欲や支配欲か。それとも正義の心か。はたまた別の何かか。
そしてむき出しの素顔を晒したルルーシュはどうするのか。
来週が楽しみである。
2008.09.08 | Comments(0) | Trackback(1) | アニメ・アニメーション
