ゴーゴリ「外套」を読む
あとがきに、平凡な主人公アカーキイ・アカーキエウィッチについて「こうした一顧の値打のない人間でも、人道主義的な愛と、尊敬にすら値することを強調している」とある。でもこういう人間が悲惨な目に遭う話というのは、現代、ないし近代のイデオロギーという概念のある世界だと、その原則や論理展開に違いはあれど必ず社会風刺、社会批判に行く気がする。このあとがきから察せる通り、この作品内では彼に対する真摯なまなざしこそ向けられど、それを通してこのような愚直だが真面目な男を死に追いやった社会に対しては批判の矛先が向けられることは無い。著者するも救済の手を差し伸べないことに、つまらない人間にそこまで親切でいられるほど社会は甘くない、という事実を改めて突きつけられて非常にショックだった。
しかし、登場人物の行く末を作者の主張のための道具とせず、あくまで主人公のありのままの感情を書くのみにとどめたことで、かえってそれが主人公の哀れさ、そしてある種の気高さが感じられた。彼は誰にも振りむかれなかったが、話ベタで、周りにむとんちゃくで、写本が好きで、そして数ヶ月かけて手に入れた外套を誇らしげに着ていたアカーキイ・アカーキエウィッチは確かに存在していとことが実感できた。
鼻はまたいずれ。
2008.12.10 | Comments(0) | Trackback(0) | 本
