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ザ、覚書

自分語りを芸に昇華するには、物語にするしかないよなあ。

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2009.07.27 | Comments(0) | Trackback(0) | 覚え書きいろいろ

最初からみないと全く面白くないです






なぜか8から貼ってしまうが。
これは深遠な知識で物語を読み込み、かつ物語と乖離せず、庵野を始めとした作品外部の考察に陥ることなく解説していて面白かったんだけど、アニメスタイルの小黒祐一郎のコラムにあったように、エヴァを終わった作品として閉じた中で語ること自体が既に作品自体をデストルドーへと押し流してしまうんだ、ということを動画を見ながら実感してしまった。動画に貼ってあった元ネタのサイト見たことあるけど、レンタルのビデオで旧エヴァ見た直後より新ヱヴァを見た今のほうが明らかに面白いから。ひょっとしてエヴァにリビドーを与えるにはエヴァを作るしかないってことがヱヴァを作る原動力になってるのか?ただリビドーそのものは庵野が作る必要は必ずしも感じないけど。それはガンダムが証明している。今回エヴァに最もリビドーを与えたものはパチンコだし。作品の一般化、普遍化ってまさにこういうことなんだろうな。制作者以外からリビドーを与えられて作品が蘇る、という。今新ヱヴァの制作によって蘇ってるのは当時の視聴者と庵野自身のリビドーだ。そうすると宮崎駿の不幸は自身の素晴らしい作品群にリビドーを与えてくれるものが見え辛いところだろうか。アカデミー賞や観客動員よりは哲学書やSFをこねくり回して書いた謎解き本やレイやアスカが犯されるエロ同人の山、ありとあらゆる技術を用いて有り得ない設定に辻褄を合わせたりif設定をつけ加えてそれを再現するために最新技術を用いて造られた1/1ガンダムを見上げたときのほうが「俺はやった!」って気になる。「俺の生きた証はここにあるぞ!」というか。ハマった人を見るのも感慨深いけど現実のモノを見るととても実感が湧いてくる。宮崎駿がこういう受け入れられ方をされたのってほとんどないというか、80年代、ジブリの体制が確立する以前までじゃないかと思う。周り、というか鈴木敏夫によって神格化されてしまったし。もっとつまらないところというか、俗っぽい、くだらない反応を現実に見たいという欲望はあった、いや今も実はあり続けているんじゃないだろうか。欲望そのものは表立って巧妙に隠されているが今でも出ているし、それが隠されていること自体は作り方として実は問題なくて、本当はそれに対する「分かってしまう人」の反応が問題なんじゃないのか。そのあたりが庵野に「パンツを下ろしてない」と言われる真の理由だったりしないか。そういえば千と千尋あたりのインタビューで子どもには自分の作品は見てほしくない、外で遊んでほしいみたいなことを言っていたような気がする。受け手との関係性をこじらせているのが宮崎駿の抱える問題か。庵野だって実はあれだけ好き勝手してるように見えてまだまだ受け手を見てる。じゃないとあんなマリの出番は増えない。

そうすると出崎統のあり方は本当に大人だと思うのだけど、一生表現者で居られる身分だからある意味気楽なのか。そこまで来ると卵か鶏って話かな。



最終兵器彼女が世紀末っぽくなかった、もっと言うとエヴァっぽくなかったのはリビドーで人類が崩壊するからだったんだとこれを書き終えてから気づいた。デストルドーって10代のときにあるような狭い世界のほうがより感じやすいよね、とか。世界が狭いからリビドーよりデストルドーのほうを感じやすい、だからケータイ小説は絶望感にあふれているけど、生の衝動は感じられない。エイズとか不治の病も散々浮気した挙句の安っぽい愛の力で簡単に治るし。んで年齢を重ねれば重ねるほど、人によって差はあれど世界は広くなるけど、今度は肉体的な衰えが見えてきてリビドーを失う、と。オタクはなんで突然運動を始めるのか、って自転車を始めた時に先輩に言われたけど、そりゃリビドーを得たいからだよ。

でもリビドーに子孫を残すって欲望は含まれてるんかね。最終兵器彼女はそれは捨ててるよね。ある意味生物本来のあり方は捨ててる。定義の問題だから調べればわかりそうだけど。

生存本能を感じること自体人間特有で、生きる行為自体はもっとオートマティックなものなんじゃないかと自分は思うんだけど。まあこれはどうでもいいか。

2009.07.27 | Comments(0) | Trackback(0) | アニメ・アニメーション

ハリーポッターの壮絶なネタバレがあります

ネタバレ注意









原作者であるローリングによれば、ダンブルドアはゲイらしい。
しかし7巻に書かれたグリンデルバルドに対するダンブルドアの思いは、単なる恋愛感情というには色々な思いが込められすぎているように感じた。もちろんローリング自身もその複雑さに関してはいくらか言及しているようだし、そもそもダンブルドアの複雑な心理状態については7巻中に大量に書かれているので実際に読めばそれで良いのだが、こういうインタビュー中で説明する時にそれをゲイと一言で言い表すんだ、ということに驚いた。人と人との繋がり、キャラクターの感情表現について途方も無い蓄積を持つ日本ならば、たとえジョークだとしても少なくとも原作者自らがこういう単純な表現を行うことはないだろう。実際の描写より簡素になるとしても、もう少し言葉を選ぶんじゃないかと思う。そう色々考えてしまうのは他人との関係性をいつも重要視する日本人特有の感性なのかもしれない。

2009.07.27 | Comments(0) | Trackback(0) | 日々のつれづれ

twitterでなくこちらに

会話には情報を伝えている部分とレトリックを増やすだけの部分がある。

2009.07.27 | Comments(0) | Trackback(0) | 覚え書きいろいろ

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