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電脳コイルの小説版を読んだ

 良い機会なので、買ってそのままだった本を消化している。
 今読み終わったのは電脳コイル2&3巻。
随分前に出たんだけど、忙しかったのと普通のライトノベルに比べて少し値段が高いのでなかなか買う機会が無かった。試験が終わってからまとめて買ったんだけど、その後も一週間ほど積みっぱなしで、ようやく読み終わった。
 最近のノベライズ本としては珍しく、内容を再構成しつつアニメ本編のエピソードを頭からこなしていくものだった。今は大体8話くらい。次で合宿の話だから、10冊ぐらいでアニメ26本分の話を一通りやるつもりなんじゃないだろうか。
で、これはノベライズと銘打ってあって、巻末にも「世界観・キャラクターその他設定の異なる別作品」と書かれているのだけど、メガネは13歳までしか使えないという小説版の設定は、磯光雄のホームページによれば当初アニメ版も同じ設定だったそうだ。ということは、もともと小説版のほうが原作に近い設定だったのではないだろうか。
 それぞれのキャラクターの掘り下げも小説版のほうが丁寧だ。とりわけヤサコ――小此木優子の内面描写がかなり丁寧になっている。イサコが何故ヤサコを嫌うのか、ヤサコは何故イサコを追いかけるのか、何故ハラケンに惹かれるのかということへの描写がアニメでは相当に端折られていて観てて違和感を覚えた自分にとっては嬉しい限りだ。あれは確かガイナックスのグロス回だったと思うけど、ハラケンがヤサコにカンナの話をするくだり、ああいう絵としての描写でハラケンがヤサコとくっつきそうだ、という雰囲気は出していたけど、その中で二人が、特にハラケンのほうがヤサコになびくようでなびかない微妙な緊張状態が終盤までずっと続いていて、それが何故起こるのか、ということはあまり描かれなかった。それはそれで正解ではあるのだけれど、やっぱりどういうことを考えていたかはっきりと知りたかった。その答えがここにある。
 アニメはともかくヤサコとイサコにひたすら焦点を絞っていた、というよりここ以外に焦点を合わせると物語がおさまりきらない感じだった。色々なアイデアや登場キャラクターの感情の流れ、ストーリーが膨大すぎて、ヤサコとイサコの物語に収束させないと26話では収まりがつかなかったんじゃないかと思う。やっぱり少しクオリティを落としてでも50話やって欲しかったなあ、という感想を持ってしまう。それだけこの小説版で描かれているキャラクター達が魅力的なのだ。普通の設定倒れの作品と違うのは、やはりその設定が世界観だけではなくて、登場人物の背景や内面に対しても深い設定があるからだと思う。ヤサコとイサコはもちろんのこと、ハラケンやオバちゃん、フミエやダイチを初めとした大黒黒客のメンバー、そして京子やメガばあ、ヤサコの両親といった面々にもそれぞれ幾つか話数が作れそうなほど深い設定があるようだ。これらの話を、小説でなくアニメ本編でみたかった、というのがある。
グレンラガンもそうだけど、放映作品数が史上最多となった「量」の2006年、そしてガイナックスの「天元突破グレンラガン」、磯光雄の「電脳コイル」が揃った2007年は「質」の年だったといっても良いだろう。エヴァのヒットと製作委員会方式が広まり、2クール26話のフォーマットが一般的になり、その中での作品の作り方や商品展開、資金回収の方法論が一般化して、そろそろ再び次の段階、4クール作品のヒット作を作る必要があるんじゃないかと思う。もう一つの段階は劇場作品だが、その方向に向かうべきか否かは今年2008年ではっきりするだろう。
そういえば、小説版三巻のカバー原画は、これまでの井上俊之ではなく19話から総作監に入っていた板津匡覧だった。
イサコとヤサコの関係性は特徴的だ。アニメではもう少し牧歌的というか、ゆるい感じがあって、その中で何か少し足りない、張り詰めた感じがあった。そうした緊張感が終盤一気に高まってラストのあの盛り上がりに繋がった。作品のまとまりは全体としては良いけど、バランス的にはやっぱり悪いんじゃないか、という評価を見かけるが、小説版はそんな生ぬるくない。最初からギア全開でピアノ線のように張り詰めている。登場人物たちの、とりわけイサコとヤサコの必死さ、懸命さに思わず読んでいるこっちが息が詰まりそうになる。そういう単純に「思春期だから」という言葉で済ませたくないほど彼らにとって電脳世界がリアルだ、ということをアニメ本編では終盤になるまでそこまでは感じていなかったので、正直驚いた部分もある。
オタク的にキャラクター同士の関係性を一言で述べるとすれば、百合というよりボーイズラブに近いと思う。女性による少年マンガ解釈に近いようなものを、ライバルの二人が互いに譲れない信念があって、それは相容れないものであり、それでも二人はお互いのことを無視することができずに、力づくで相手の存在を自分に近づけようとする、というのかなんというのか。百合というのも少なくとも二種類あって、女の子が二人いちゃいちゃしてるのと二人が絶妙な緊張状態で互いを自分のものにしようと駆け引きしあってるのとあると思うんだけど、ボーイズラブもそういう所がある。ただ、最近の百合っていうのはそこまで緊張して張り詰めた感じがない。本当に受け手に緊張状態を与える作品というのは、こちらに妄想する隙すらあたえない。妄想すら許さない。もう世界は作品中にある登場人物だけのものであって、それは唯一無二であり、誰にも侵されないものなのだ。普通の作品はどうしてもエンターテイメントになってしまったり、そういう要素を入れざるをえないこともあって受け手に自由に解釈する隙を作ってしまう。いや、そういう隙はどんなに完璧に作っても必ず生まれてしまうもので、だからこそ「現実は小説より奇なり」という言葉がたとえ普遍のものであっても、空想の作品が現実に勝る瞬間も時には存在する。だけれども、その作品のあり方そのものに受け手の解釈する隙を与えない、登場人物の感情を思いのままに書き換えることを受け手がためらう程の緊張感というものは確かに生み出すことができるし、それが出来るときには、その作品はおそらく素晴らしい作品になりうるだろう。
しかし同時にそうすることで、それを受け入れることのできる人間が一気に減ってしまう、ということもまた事実なのである。私自身もここまで読み手に緊張状態を強いる作品を安易に薦めることは出来ないし、実際に電脳コイルはそこまでヒットした作品ではなかった。むしろ惨敗だといっても良い。けれどもこの作品は確かに唯一無二の作品であり、私はこの作品が大好きである。
そういえばもう四巻が出ているはずだ。買わねば。

あとハラケンはすごいキャラクターだと思う。小説版電脳コイル第三巻より。
「女はいやだ。ひとの弱いところに平気でつけこんで、こちらをとりこもうとする。最悪だ」

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2008.02.24 | Comments(0) | Trackback(0) | アニメ・アニメーション

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