鉄腕バーディー DECODE:02 第7話について
http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20090226/1235749375
http://d.hatena.ne.jp/n_euler666/20090221/1235237868
http://d.hatena.ne.jp/n_euler666/20090225/1235575865
新規に来てくれた方を振り切りそうな話ですが、カトゆー家断絶さんで記事があったので。
3つ目のリンク先にある、松本憲生・山下清吾パートからりょーちもパートってなってるのが、
巷で噂の松田宗一郎リスペクトの作画ってやつですかね。
一見玩具みたいなディテールで平面的に動くんですが、その平面的な動きが
赤基調の画面作りと相まって、敵がめっちゃグロテスクでした。目がギンギンに光ってるのがヤバイ。
3次元的な構図なのに2次元的に動くのが生理的に受けつけないのかなあ。
絵描きではないので具体的な手法まではわからない。
日記であれだけ松田作画について語ってたし、個人的にはこの辺全部山下さんな気もしないでもない。日記トップで「自省の日々」って書いてるのはやっぱやりすぎて騒がれちゃった反省もあるんでないだろうか。
まあ、今回の場合はアニメージュで特集が組まれるみたいだし、受けつけられない作画があった人はそこで判明した担当者を批判すればいい。
逆にそうした説明の場があって、あらぬ人へ批判が向けられることの無い状況だったからこそ、ここまで暴れたのかな?だとしたら納得。
真ん中のリンク先のコメントに、第二期ノエインっぽくしてるように思えるのだけどよいのか?とかいう文章があったけど、むしろ最初からそういう方向なのではないのか、と。
メインスタッフがノエインだし、原作者のゆうきまさみがノエインが好きでそのスタッフでやって欲しい、出渕さんとの話でエッセンスを抽出したオリジナルで、となったとニュータイプの漫画にあったし、受け手はともかく、作り手の中では了解は取れてると思う。
つか
>「バーディの名前を借りた別作品」と見るのが妥当
って最初からそうだと思ってたよ。みんな違うと思ってたの?むしろそれに驚いた。
個人的には、ヴァイオリンが襲われたことが問題なのではなくて、ヴァイオリンが人間でなかったことにバーディは傷ついてるわけだけど、それが松田調の作画で表現するのに見合ったシーンだったかどうか、微妙なところだと思った。
最初に書いたけど、面が広くてデカく、松田調を生かすことでおどろおどろしさが出ていた敵メカと違って、ヴァイオリンのグロテスクさ、無機物的な感じはあまり感じられなかったように思います。バーディの心情を考えると本来それこそがこのシーンで最も表現すべき部分だったと思うのですが。それを踏まえてのあのバーディの激情と暴力描写でしょう。
ヴァイオリンが壊れているというディテールがほとんど見えなくなってるんで、バーディの「違う!これはヴァイオリンなんかじゃない!」って台詞が無いと、バーディが単にヴァイオリンに酷いことされたから怒ってるようにも受け取れてしまう。ヴァイオリンの壊れ方がグロすぎて、でも修正時間が無いから誤魔化したって可能性がないわけではないけれど。
松田作画自体をモノに出来ているかどうかはまた別としてね。
そういえば、こうした実験作画って、80年代はTVアニメとか一般のアニメファンの目にも触れやすいところでやっていたところがあるように思うんだけど(金田系とか山下系は当時の流行であると同時に実験的な、先鋭的なものでもあった)、アニメの作画を語ろうとか読むと、90年代では結構マイナーなOVAとか劇場作品で実験的なものが多かったんだよな。
例外は幽白、忍空とかぴえろ系の作品ぐらい?
顔が違ってるレベルでなく、画面全体の雰囲気が違うシーンが突然出てくるアニメっていうのは少ない。エヴァはまた別として。
90年代に力があったのがサンライズとか東映とか、どちらかと言えばパッケージ的な作品を多く作る会社だったことも、実験的なアニメが少なめだった原因だと思う。力があったっていうのは単に人気作品が多かっただけでなくて、優秀な若いアニメーターがこの二社関連で続々出てきて、作品のクオリティも高かったことも含めている。
だとすると、今その中で育ってきた10代、20代はTVアニメをパッケージとして普通に楽しむものとして捉えているTVアニメで実験的な作画をされて拒絶反応を起すのは、当然といえば当然なのかもしれない。
ちょっとこのあたりはまたいずれ書く。
2009.03.01 | Comments(1) | Trackback(0) | アニメ・アニメーション
