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雑記

だからずーーーーっと言ってたでしょ、俺は。
http://d.hatena.ne.jp/NaokiTakahashi/20090620/p1#tb
「NaokiTakahashiの日記」さんより

家族を失っている朋也は渚に対して家父長的=保守的に振舞うというよりはむしろ依存しているんじゃないだろうか。
汐と旅行した後も父親としての自覚を得た、というよりむしろ依存対象が汐に移っただけで、その本質というか、朋也の弱さは変わっていないように思える。
家族を失って、代わりに打ち込める対象になりうるはずのバスケも出来なくなって孤独にだった朋也は自分を無条件に受け止めてくれる人間を強く欲していたに違いない。
そういう家庭を描く作品では、君臨する夫が妻を奴隷のように扱う場合と威圧的に振舞いつつも実は意識的・無意識的に妻に寄りかかっている作品の二種類に分けられる。で、後者は単純にフェミニズムの文脈だけでは語れない問題をはらんでいる。
つまり特定の個人に全面的に依存しなければならないというのは本質的には他の誰も信用できないという大きな孤独を抱えているのに等しく、自身の存在意味を赤の他人にそっくり委ねているという、一歩間違えれば危機的なアイデンティティーの崩壊をはらんだ非常に不安定な状態にある。
もちろん誰かのために生きる、というのはアイデンティティーのあり方としてはごく当たり前であり、それこそ妻のため、子のために生きるというのはヒトとして至極普通のあり方ではある。だが朋也はそれに辿り着く前にあまりにも挫折や孤独を経験しすぎて、それらを失ったときの反動が非常に大きい。それは渚が汐を身ごもった後も父親になるという自覚が芽生えることなく、渚のことばかり心配していた描写はまさに朋也のそのような精神的な危うさを予見させるような描写である。
さらにいうなら自分より弱い立場の特定の個人に寄りかかりたい、という感情自体は何も男性だけのものではない。草食性男子なんてものが叫ばれているように女性側にも同じような問題は存在する。それこそ独身女性が30代、40代と高齢化するなか、だんだん独りでいる孤独を感じるのは当然と言える。不況を通して派遣者員だけでなく正社員や公務員の仕事量が増加し、日本全体が疲弊している現状も多いに関係があるだろう。
それに対抗する策として小さな共同体を作り、その中の一員として生活することで自己の存在を確立する、というのは保守的ではあるが、一つの解ではある。最近話題の貧困をテーマにした本を読むと、そのような共同体の喪失がダイレクトに個人を打ちのめし、結果貧困層に陥るという流れと、そしてその対抗策として近所や町単位のつながりに変わる新たな共同体を作ろうとする試みが行われていることが書かれている。
そしてそれは単にフェミニズム的な問題ではなく、その裏には人間存在に対する重大な問題が存在し、それは非常に社会的かつ現在進行形で語るべきテーマ足りうる。

と、光の玉集め=他人との繋がることが結果として奇跡を生むというのは非常にゲーム的な解決法に見えて、現代社会においても案外有効な手段の可能性があり、その本質的に現代社会に対する強烈な問題提起をはらんだ部分が、原作から5年経った今のアニメ化しても影響力のあった理由と思うのだが……麻枝准がそこまで自覚して当時このシナリオを書いたようには、正直思えない。普通に作者のやりたいことをやってたら、結果的に非常に現代的な作品になった。そのあたりがクラナドという作品を語り辛い原因ではないか、と思っている。少なくともゲームをリアルタイムでプレイした人と、アニメで観た人では、株価急落とかあった分大分感じ方が違ってる可能性があるんだよな。

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2009.06.22 | Comments(0) | Trackback(0) | アニメ・アニメーション

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