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PA works公式HP Anime Runner第2回 井上俊之より 元記事
井上:いや、違うモノを見たいとは思っていないんじゃない? 意外に観客って保守的なところがあるから、あまり違う表現は受け入れないところはあるよね。物語を表現するに足りてさえいれば観客は、絵を動かすことに関しては貪欲じゃないと思うし、そんなに(アニメートに対しての)審美眼も無いと思うしね。
でも、アニメーターにとってはね、それだけではマズイって云うかさ、ストーリーを表現するのに過不足ないことができればいいんだって思った段階で、あとは本当に、また退行していくだけだから。
matikaさんの7月11日の記事のコメントを見て思ったんだけど、Anime Runnnerやこの人に話を聞きたいを読むと、業界内ではともかく、作画マニアたちは井上俊之の作画観に影響を受けているとすれば、例えば京都アニメーションのファンが、「丁寧なだけで飛びぬけた作画がない」とか作画ファンがなじったことに対する反応として
「俺たちはそんなすごい作画を求めてない。」
「アニメーターは作画崩壊させずに丁寧に仕事していればよい」
「大事なのは脚本と演出」
という反論をしばしば見かけるけど、それってまさに冒頭の元記事にある
「ストーリーを表現するのに過不足ないことができればいいんだって思った段階で、あとは本当に、また退行していくだけだから」
って言葉そのものじゃいないか。
日本のアニメ文化の流れとしては、重要なのは演出と脚本で、作画はそれらの要素を魅力的に見せるために存在すれば良いのかもしれない。
でも、それってアニメーションとしてはもう終わってるんじゃないだろうか。
アニメーションというのは動くことそのものも魅力の一つなわけだから、動きは演出や脚本の下に付随するもの、となった時点でアニメーション本来の魅力は全部とは言わないけれど、やはりいくらか失われているのではないかと思う。
京アニ自身が新しいアニメーションを追求していないわけじゃないし、受け手も必ずしも上記の様な人ばかりでは無いけれども、絵が動くこと自体が面白いものであるということをもっと伝えていかなければいけない、絵が動くということを評価する言葉をもっと僕たちは持たなければいけないのではないだろうか。
※ここ数年の、特に若手の有力スタッフが多く参加してるアニメを見てると、少なくとも業界内ではこういったアニメートを追求する方向にまた戻ってるんじゃないかって気はしている。キャラデザとかも2000年前後とかに比べて大分シンプルになっているし。ただこういう方向って70年代、80年代あたりからのアニメファンとか、海外のファンとかにはどう受け止められるのだろうか。攻殻のような方向性はもう当分無いとかだと、特に欧米のファンとか離れる人も出てくるかもしれない。
2007.07.18 | Comments(1) | Trackback(0) | アニメ・アニメーション
