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「劇場版selector destructed WIXOSS」のこと

劇場版WIXOSSのこと

劇場版WIXOSSを観た。
ネタバレは防ぎたいし土曜日公開だったこともあり、公開初日の初回からと気合を入れて鑑賞したのだが、想定以上の結末で、感動のあまり涙が止まらなかった。
久しくこのような経験はしてなかったので、驚いた。

ネット上では90分で総集編+αは短すぎるのでは、と否定的な意見も多いようだが、自分にとっては求めていたものを全て受け取ることが出来たので何も不満はなかった。
登場人物たちのドラマについても、おおよそのキャラクターについてはTVシリーズで決着していると思っていたので、劇場版の捉え方は、総集編や補完というより、TVシリーズの再解釈版、という方が自分にはすんなりくる。



TVシリーズ2クールを踏まえた上でこの劇場版に自分が求めていたことは3つ、「るうのバックボーン」「ウリスの結末」そして「繭の救済の見直し」。

そのうち前者2つは鑑賞すればすぐ分かるとおりにがっつりと描かれているのだけど、最後の繭の救済については、鑑賞した段階では自分の中で腑に落ちるのに、なぜ納得したのかを言語化することがずっと出来ないままであった。

が、主題歌を聞きながらぼんやりと思い返していると、ふと何故自分が納得できたのかについて一つの視点が思い浮かんだ。



ここからは、劇場版のネタバレを含む。



TVシリーズでも語られ劇場でも掘り下げられたように、るうは幼くして母親に疎まれ、母という存在に受け入れてもらうことが出来ずに育った。

また劇場で新たに、るうは幸によって「タマ」と名付けられていたという過去のエピソードが追加された。
タマは文字通り、るうの半身ということになる。

劇場版ではTVシリーズの流れのとおり、繭とのバトルの後、るうは繭に、自分にとって大切な存在となったタマとユキを生み出した繭は、2人と同様に大切な人間だと語り、その存在を肯定する。
このくだりはTVシリーズでは、繭の置かれてきた状態やこれまで繭が行ってきた行為を考えると落とし所としては弱いなと感じられ、それが劇場版での描写の追加を自分が望む理由になっていた。

ここで先に語ったるうの追加の設定を踏まえると、大きくこの場面の印象は変わってくる。

先に述べたとおり、劇場版での再解釈により、タマという存在は単なる友達を超え、るうの分身であると語られた。
とすると、るうは、タマという自分の半身を生み出した繭に、自身に欠落していた母の存在を感じとったのではないだろうか。

そして世界から隔絶され存在を否定され続けた繭を肯定したことは、タマやユキを生み出した、すなわちるう自身を生み出してくれたことへの感謝の現れ、子による母の存在肯定だったのではないか。

非常に変則的な形ではあるが、るうによる繭の救済を、自らを生み出した母たる存在を子が肯定する物語とみなすと、繭の存在肯定として非常に力強い理由付けができる。
自身が生み出した存在が自身の生を肯定してくれる、これほど勇気づけられることがあるだろうか。

この再解釈には劇場版冒頭のるうと幸のくだりが大きく影響していて、もちろんこのシーンは鑑賞して分かるとおり、るうとウリスのドラマの繋がりを示すシーンでもある。
冒頭の数分間の追加だけで、るう、ウリスだけでなく、繭も含めて三者のドラマを一気に掘り下げることに成功しているわけだ。

改めて、すごいとしか言いようが無い。
もうしばらく、この作品の持つ熱量に浸っていたいと思う。

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2016.02.29 | Comments(0) | Trackback(0) | アニメ・アニメーション

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