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まどか☆マギカ第9話

【関西】『魔法少女まどか☆マギカ』第9話でまた衝撃展開かよ・・・勘弁してくれ|やらおん!

エントロピー云々が出てきて

「魔法じゃなくて科学じゃないか!萎える!」

って意見。

感情からエネルギーを得るって時点でオカルトテクノロジー。
エントロピーという言葉が出た時点ではギョッとしたけど
設定だけみればまだ禁書の科学サイドの方が『科学』って感じはする。

少女の希望から絶望へと移り変わる感情は
テクノロジーでエネルギーに出来るって説明があっただけで
魔法少女の力自体がどうやって発現してるのかは分かってないけど。

絶望のエネルギーの一部だけ魔力として使ってて
その残滓がソウルジェムに溜まるという感じなのかも。
それ以外エネルギー源思いつかないし
そう考えると魔法少女だって都合が良いだろう。
魔法少女が魔女倒してくれないとキュゥべえは困るわけだし。


何に違和感感じたのか思い返すと不思議だったんだけど
自分の場合はイヌカレー演出とのイメージのギャップだったんじゃないだろうか。
あのオカルティックで退廃的なイメージと
熱的死を回避するというベタなSF設定の間で戸惑ってしまったんだろうな。


ただ、奇跡や魔法を生み出すのが感情のエネルギーというのなら

「激しい感情をもつ知的生命体が、人間が、少女が存在する限り。奇跡も魔法も存在する」

ということなんじゃないだろうか。
少女の存在と魔法の存在はイーブンなのだ。

まどかが宇宙の法則を揺るがすほどのエネルギーを持ってるってことは
それだけ彼女は希望に溢れる、満たされた少女だったのだ。
「自分は何の役にも立ってない、だから魔法少女になりたい」とずっと言っていたのに。
1話の平和な日常は本当に大切で価値あるものだったのだ。

最終話まで観てからもう一度1話を観て欲しいってそういうことだったんだな。

2011.03.10 | Comments(0) | Trackback(0) | アニメ・アニメーション

まどか☆マギカにまつわる問題意識とその魅力

魔法少女における問題意識――晴漁雨読日記


まどか☆マギカは魔法そのものを恐れるというより
「魔法少女になる」ということにヒロインが怯えている、というのが新しいのだと思う。


突然自分が持ってしまった強大な力に戸惑う、という筋立ては良くあるし
特に玩具と切っても切り離せない魔法少女ものは1話で変身しなければならないから

「とにかくまず1話で変身させ、それから魔法について考えさせる」

という展開が圧倒的に多い。

まどか☆マギカは玩具タイアップが無いことを利用してヒロインを変身させない。
そしてなにより、そのことを利用して
強大な力をもつ魔法少女という「立場」になることをヒロインに恐れさせている。



よくエヴァ以降のロボットアニメにおいて
「1話で主人公がロボットに乗り、敵を倒すところまで話が展開しない」
という話が出るけど

これも主人公が巨大ロボットという強大な力を持った存在に対し
それを動かす責任の重さを乗り越え主人公が乗るという描写が、
今の時代真面目に描こうとすると非常に手間がかかるから、とは言えないだろうか。



夢には常にリスクが生じるという話を
雑誌のインタビューで虚淵氏が語っていたが、
この思想がまどか☆マギカに現代的なリアリティを与え
自分を含めて視聴者を惹きつけているのではないだろうか。

総理大臣レベルで責任をなすりつける時代なのだから……

【Read More】

2011.02.17 | Comments(0) | Trackback(0) | アニメ・アニメーション

まどか☆マギカ2話視聴メモ

twitterでつぶやき損ねた部分のメモ。



魔法少女になることで他人の願いを叶えるのが魔法少女モノのセオリーなのに、
まどかマギカは自分の願いを叶える代わりに魔法少女になる。
つまり、魔法少女になることはリスクだ。

魔法少女になることで魔女に襲われる人を救うことはできるけれども、
彼女達にとって人助けそのものが目的なのではない。

他人のために魔法を使う魔法少女が、自分の願いをどう叶えるかが昔の魔法少女のテーマだった。
自分の願いのために魔法を捨てるというラストもみられた。

しかしまどかマギカの魔法少女たちは最初から私欲で動いている。


まどかマギカのラストは、自分の欲望のために魔法少女になる世界で、
まどかがみんなを幸せにするために
魔法少女になることを選ぶ話になるのではないか。

2011.01.20 | Comments(1) | Trackback(0) | アニメ・アニメーション

∀ガンダムを観終わる

 夏の終わりからずっと観ていた∀ガンダムTV版をついに観終わる。登場人物たちの間に積み重ねられた歳月を感じさせてくれる素晴らしい作品だった。フランとジョゼフのカップルが大好きなので、49話でジョゼフが死ななくて本当に良かった。テレビ版を通してみればロランがソシエから離れディアナ様と過ごすのは納得がいくんだけど、別れのキスはさすがにソシエが可哀相だ。キエルにはハリーがいるのに。メシエにも月で出来たボーイフレンドができたみたいだからカップルが成立してないのはソシエだけなんて、そりゃ叫びたくなるよー。


 つい先日先輩方と衆議院選の結果について討論するときも思ったんだけど、判断基準を特定の思想でなく生活基盤から得るって発想はとても日本的だと思う。∀はまさにそういう話で、文明を興して国をまとめようとする思想、暴力によって人をまとめ上げようとする思想に対し、日々の生活を守るために人々が団結し立ち上がるというのは、古来より特定の宗教にそまらず、実益を第一に考えてあらゆる思想をつまみ食いしてきた日本らしいストーリーだ。最後ディアナのもとにかつての敵同士だったミリシャとディアナカウンターが一つになるのは革命とは違う。月光蝶という一方的な暴力に対して人々が立ち向かうのは今日生きるため、明日を生きるためであり、最終的に社会を特定のイデオロギーの影響下に置こうとする革命とは似て非なる行為だ。


常よりも数は少ないとはいえそれでも戦争、当たり前に人は死ぬ。無名のキャラクターなら尚更、きちんと放たれたミサイルは敵に当たり人が死ぬことが分かるように画作りがなされてることがSEEDや00に比べれば多いように感じた。ロランを始めとするパイロットも人を殺すことを自覚しているシーンが多いし、野戦病院まで出てくる。その中でも牧歌的雰囲気が最後まで失われていないのは、ここで描かれている戦争を包むものとして生活があるからだ。戦争するのは人であり、人は食べ物や住居や衣服、そして色恋が無ければ生きていくことができないのだ。


SEEDも00も戦争をどう描くかということを監督のインタビューでよく述べられていたが、富野ガンダムの本質はそこにはなかった。∀ガンダムで描かれているのはあくまで生活そのものであり、その内に戦争があるのだ。守るべき土地、守るべき人々というのは生活のなかから見出すのであって戦いの中で意識するものではない。日々の積み重ねは生活の積み重ねである。その積み重ねが作品を支え、作品を形作る。そうして生きている人々の感情のぶつけあい、それこそがドラマであり、私たちの心を震わせるエネルギーの源である。まさに長編アニメの醍醐味だ。


画作りに関しては、これだけの豪華スタッフを擁しながらここまでアニメーターを信用しないのか、と思わず笑ってしまうようなコンテが多かった。毎回の話は濃密だがその分各々のカットは必要最小限の秒数で抑えられており、その中で描きづらそうなカットが多かった。結構多めの話数に参加してたはずなのに最終話でようやく真っ当な分量が出てきた後藤サーカスなんか代表的だ。あれだけダブ回が多ければ仕方なくはあるけど。やはりキングゲイナーぐらい規格外のスタッフが集まってくれないとリミッターは外させてくれないのか。


ただメカ自体は非常に格好良かった。動きはそれほどでないことはヒゲガンダムがあのデザインでも格好良く見えたのはハイライトやBLカゲが多めに入れられてたせいではないかと思っている。Vの反省だろうか。一番好きなモビルスーツはゴールドスモー、ついでターンXだが、メカはどれも好き。


劇場版はどうしようかなー。すぐさま観たい気もするけど、しばらく余韻に浸りたい気もする。テレビ版は登場キャラクターが膨大な分終わり方が少し急ぎ足だったから、劇場のほうがゆったりとできるとは思うんだけど。

2009.09.15 | Comments(0) | Trackback(0) | アニメ・アニメーション

細田作品の過剰な演出について

サマーウォーズの掘り下げない姿勢

侘助が車ボコボコにしながら戻ってくるシーンは、むしろ笑えるのか笑えるのか微妙な辺りがリアルを感じさせて好きなんだけどな。
現実に大切な人が死んだってそう簡単に大したことなんて言えず、格好なんてつかないけど、でも侘助も他のみんなも確かにおばあちゃんが亡くなったことで悲しんでて、そのドラマで話はきちんと繋がってく。

細田作品では、時をかける少女での自転車のブレーキが壊れた功介たちを追ってるときにコケて体中擦り剥けてる真琴の演出とか。基本的に細田演出ってすごくクールで理知的なんだけど、ときたま過剰さを前面に出す演出が混ざってくる。

漫画のNHKにようこそ!に似てるかなと思ったんだけど、むしろカレイドスターかな。1期後半での鉄球を跳ね返す特訓とかどう考えてもギャグなのに、佐藤順一の演出パワーで否応なくドラマに引き込まれる。2期でのレオンの空気椅子とか、観てる時は全然突っ込む気にならなくて、ネットで他の人の感想観ておかしいことに気づいたな。確かアニメスタイルのカレイドスターイベントは細田守来てたと思う。影響があってもおかしくはない。

サトジュン作品ではそういう演出が一番見られるのがストレンジドーン。作品中で展開されてるドラマ=感情のやりとりと、二頭身のキャラクターたちのビジュアルや女子高生二人の行動が乖離しててすっごい違和感あるけど、でも受け手がついていけるギリギリのラインできちんとドラマが展開していって終わる、不思議な余韻のある作品だった。面白いか、といわれるとちょっと違うんで人には薦められないという、サトジュン作品では数少ないタイプ。

細田守本人がいくつかインタビュー読んでるといろいろコンプレックス抱えがちな人っぽいので、ああいう素直な過剰さに憧れでもあるんじゃないのかな。というのは少し勘繰りすぎかな。




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2009.09.05 | Comments(0) | Trackback(0) | アニメ・アニメーション

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